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青山 定司(あおやま ていじ、1945年6月30日 - 1980年5月20日)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサーである〔''青山定司''、日本映画データベース、2012年2月12日閲覧。〕〔''「妄執、異形の人々 II」特集の裏側で''、木全公彦、映画の國、紀伊國屋書店、2012年2月12日閲覧。〕。第1回ヨコハマ映画祭で自主製作賞を受賞した『家獣』で知られる〔〔第1回ヨコハマ映画祭 1979年日本映画個人賞 、ヨコハマ映画祭、2012年2月12日閲覧。〕。 == 人物・来歴 == 1945年(昭和20年)6月30日、関東州(現在の中華人民共和国東北部)大連市に生まれる〔。同年8月15日、第二次世界大戦が終結し、引き揚げ後、両親は東京都渋谷区の恵比寿で仏具店を開く〔。 1968年(昭和43年)3月、駒澤大学経済学部を卒業、青山デザイン専門学校(現在の東京デザイン専門学校)アニメ科に進学する〔。満23歳を迎える同年、初めての8mmフィルム作品『追憶』を発表する〔。1971年(昭和46年)には、同専門学校の学園紛争をテーマに監督・製作した『たろうトウキョウ』を発表する〔。その後、実家の仏具店を手伝い、日本映画新社の屋上にあった日映美術で撮影助手を務めていたが、1974年(昭和49年)、坂英之を主演に『TAKE IT EASY』を監督・製作、公開する〔。 1975年(昭和50年)2月13日、満29歳のとき、坂英之・桂木梨江の主演を得た初めての16mmフィルム作品『信天翁』を公開する〔〔。桂木は同作がデビュー作となり、同年に公開された『祭りの準備』では、第18回ブルーリボン賞新人賞、第49回キネマ旬報ベスト・テン助演女優賞にノミネートされている〔桂木梨江 、日本映画データベース、2012年2月12日閲覧。〕。 『八月の濡れた太陽』(1976年)、『美しき玩具たち』(1977年)を経て、1979年(昭和54年)、『家獣』を撮影、同作仕上げ途中の同年4月、東京大学医科学研究所に入院する〔。開腹手術後、退院して再編集、同年10月3日、同作を公開する〔〔。『小型映画』(編集長日比野幸子、玄光社)誌上で批評家の宇田川幸洋が同作を賞讃する〔。同作には、作家の鈴木いづみや『映画評論』元編集長の佐藤重臣が出演し、音楽に鳴瀬喜博、近藤達郎が名を連ね、金子マリ&バックスバニーが参加していた〔〔家獣 、日本映画データベース、2012年2月12日閲覧。〕。同作に主演した俳優の麻生亮は、同年11月26日、青山の『美しき玩具たち』に出演した高野光弘、『家獣』に出演した深沢裕子、あるいは左時枝らの出演を得た監督作『棺の花』(原作水上勉)を公開している〔棺の花 、日本映画データベース、2012年2月12日閲覧。〕。 1980年(昭和55年)2月3日、第1回ヨコハマ映画祭において、『家獣』の製作・監督に対し「自主製作賞」を受賞する〔〔。同年5月20日、直腸癌のため死去した〔。満〔。それに先立つ数か月前に、妻の青山三江子も病により亡くなっている〔。 没後、ことばと文化センター新宿日本語学校(CLC新宿日本語学校、現在の新宿日本語学校)内に「青山定司フィルム・ライブラリー」が設置され、作品が管理されるが、その後、散逸している〔。『家獣』については、1980年代に中野武蔵野ホール(2004年5月8日閉館)で再映された記録がある〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「青山定司 (映画監督)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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